「永遠の一瞬」ってなんだろう?

こんばんは。とまと寿司です。

スクスタストーリー最終章、ついに更新されましたね。皆さんはもうご覧になりましたか?(読んでいないというそこの君!あと半月あるぞ!)

で、その最終章読んでるときに、あぁこれ「永遠の一瞬」だなあってずっと思いながら読んでました(???)。といいますのも、ちょっと前にようやく「永遠の一瞬」の意味を自分の中で納得のいく形で落とし込めたからです。

ということでこのブログでは、私なりに「永遠の一瞬」について考えたことを書いてみました。ちなみにここでの「永遠の一瞬」は、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の『永遠の一瞬』という楽曲についてというよりも、「永遠の一瞬」という概念そのものについてです。

 

 

「永遠」とは?

「永遠」と「一瞬」、時間的な感覚で考えれば、一見相反しているような2つの言葉。それら2つの言葉を繋げた「永遠の一瞬」というタイトルは、、、“なんかエモい”。それが最初の感想だった気がします。けれど、その実態は分かるようで意外とよく分かりませんでした。正直いって5thライブの頃は分かったような気になって感動してた気がします。

 

まずは「永遠」について。
「永遠」というものをネットで調べると

物事の変化を認識するための概念である時間に対し、変化しないものの概念であり、常に移ろい過ぎ去っていく時間に対し、不変のものを言う。 (Wikipedia)

とでてきます。

 


つまり「永遠」とは「不変」のものであり、逆に言うと「永遠」は「変化」と相対するものです。「永遠」というテーマが取り扱われる時、こういった話がよくでてくるような気がします(私は原神でみっっちり学びました)。

 


私はこの世に永遠に続くものがあるのかと考え、「不変」であるものを探しました。

 

とりあえず世界の始まりから考えてみます。この世界がビックバンで誕生してから、物体を構成する原子は常に動き続け、衝突を繰り返してきました。アインシュタインが理論を説明した、ブラウン運動というやつです。どんなに動いていないように見える物体であっても原子レベルでは常に微細に振動しています。つまり、この世の物も人もすべて動き続けている、「変化」し続けているのです。

変化し続けているという意味では、「永遠」に変化し続けていると言えなくもなさそうですが、これは「永遠」とよく間違えるやつで、「延々」というものです。どちらも「長く続くこと」を意味しますが、「延々」は「永遠」と違って無限ではありません。

こんなようなことを考え続けた挙句の果て、この世界に「延々」はあっても、「永遠」は存在しないんじゃないかという考えに至りました。結論から言うと、この考えはおそらく“ほぼ”正解です。

 

先ほどWikipediaから引用した「永遠」の定義のようなものを振り返ると、「永遠」は「物事の変化を認識するための概念である時間」に相対するものでした。さて、「時間」という言葉。果林推しとして無視せずにはいられません。この言葉を考えると、2期11話「過去・未来・イマ」のことなんかがすっと浮かんできました。そして、ぼけーーっと考えたんです。「過去」と「未来」と「イマ」の関係性を。そしたら何となく思ったんです。

「イマ」この瞬間は絶え間なく「過去」へと変化し続けるものだなと。

「イマ」の積み重ねが「過去」だなと。

そして、一度「過去」へと変わってしまった時間はもう戻せない、変えることのできないものだなと。

 

 

 

 

 

ーーーーーーん?待てよ?

変えることのできないものということは、、、、変化しようにもできないものじゃないですか!

 

もしこの世界に「永遠」があるとしたら、それはきっと「過去」の中にあると思います。なぜなら、「過去」だけは変えられないからです。先程の「永遠」などないという帰無仮説は、「イマ」というこの瞬間における世界に限定した話でした。四次元的にこの世界を考えるならば、私たちが干渉できない過去は「不変」のはずです。

 

 

 

ただですよ、過去に起きた出来事ならなんでも「永遠」になるっていっていいんでしょうか。

突然ですが皆さんは10年前の今日、何をしていましたか?晩ご飯は何を食べましたか?

正直いってほとんどのひとが覚えていないと思います。自分も、その日一緒にいた人も、誰もが忘れてしまった過去。そんな過去は「永遠」といえるでしょうか。いや、言えないでしょう(高校古典以来に使う反語)。なぜならもうこの世(今)に存在しないものだからです。私たちの頭の中にしか存在していなかった過去は、人間の忘却能力の末にこの世から消えてしまいました。(たしかに10年前の今日、晩ご飯にはきっと“なにか”を食べていて、その事実は変化しないでしょうけれど。)

どうしても失われた10年前の記憶を取り戻したいと思ったら、、、その日に書いた日記なんかがあるといいでしょうか。10年前の今日の記録を見れば、その日にしていたことが分かりそうです。

そうです、「記録」が大事なんです。人間の記憶には限界があります。どんなに印象的なことで死ぬまで覚えていたとしても、死んだらこの世から消えます。

とはいえ、記録したとしても、紙は燃えるし劣化するし、インターネットも昔のものはいずれ見れなくなるかもしれません。この世の記録媒体ですら、物体でしかないのでしょうがないことです。

だから完全な「永遠」なんて、きっとないです。けれど、「記録」することがもっとも「イマ」の出来事を「永遠」に近づけると思います。地球が滅亡するようなことが無い限り、きっと続いていくはずです。現にアインシュタインブラウン運動の理論を説明したことは、100年以上がたった今でも私たちは知ることができるし、この先の未来もきっと限りなく「永遠」に近いくらいずっと、その事実は変化せず受け継がれていくことでしょう。(ただし、ブラウン運動のような価値のある情報だからこそ、今まで受け継がれてきたという側面はあるでしょう。受け継がれる価値のない記録や印象的でない出来事は、そのうち消えてしまう蓋然性が高いです。)

 

余談ですが、高校時代から私はたまに日記を書いています。日記を書く理由は主に2つあって、まずは自分と対話し、心を整理するためです。なのでむしゃくしゃしたときに書くことが多いです。2つ目は、日常のちょっとした出来事を記録しておくためです。本当にちょっとしたことでいいんです。楽しかったこととか、友達が言った面白いこととか、ちょっとムカついた言動とか、色々考えて見た事とか。あとで見返すと意外と面白いのでおすすめです。もしかしたら、ツイッターを日記代わりにしている人もいるかもしれませんが(笑)。

 

 

 

 

 

「永遠の一瞬」

「永遠」ついて少し理解が深まったところで、ここからは本題の「永遠の一瞬」について考えていきたいです。

「一瞬」というのは、「永遠」ほど難しい概念ではないと考えていて、文字通り「一回瞬きするくらいのほんの少しの時間」のことです。

「イマ」というこの瞬間は「一瞬」です。ですが注意しておきたいのが、「イマ」=「一瞬」ではありません。あくまで「イマ」は「一瞬」のひとつです。「一瞬」とは1フレームのようなものだと思います。きっと「一瞬」という1フレームの積み重ねが「過去」を作っています。積分をするとき、面積を求める範囲をハムのように細かく切って、それを足し合わせるという考え方を習いましたよね。「一瞬」とはその一枚の「ハム」みたいなものだと思います(絶妙に分かりにくい例え)。

ではその「一瞬」が「永遠」であるとはどういうことなのか。

 

 

ちょっとここでスクスタの『永遠の一瞬』が作られたエピソードを軽く振り返ってみます。

3rd Season 41章、Aqoursのライブからの帰りのバスの中で、あなたチャンは「私だけ何もない、何も成長できてない」という悩みを同好会メンバーに吐露します。同好会メンバーはそんなあなたチャンをやさしく包み込み、おかげで少し元気を取り戻します。あなたチャンは、これも私の青春だと認め、この気持ちを曲にすることに決めます。全員で歌詞を出し合い、完成した曲が『永遠の一瞬』です。同好会13人は完成したその曲をすぐにその場で歌いました。簡単にまとめちゃいましたが、これが『永遠の一瞬』のできた背景です。

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つまりこの曲は、あなたチャンが今の自分の青春を綴った曲になります。かつ、同好会による、同好会のための曲でもあると思います。だからおそらくスクスタでは同好会以外の人の前では歌ってない曲なんじゃないかなと思ってます(間違ってたらスンマセン)。

 

何気ない日常も

いつか 特別な青春の1ページ

皆と過ごした日々はいつまでも

輝き続ける

こちらは『永遠の一瞬』の歌詞の一部です。

「1ページ」という歌詞。私的には、「一瞬」や先ほど少し書いた1フレームという言葉に近い気がします。さらに「ページ」という歌詞が記録媒体であるノートを彷彿させることから、「1ページ」という歌詞は「イマという瞬間を切り取った記録」という意味を感じました。

 

 

結局、ここまで「永遠」の定義から考えてきて何が言いたかったかといいますと、『永遠の一瞬』という曲はそれ自体が記録なのではないかということです。

『永遠の一瞬』という曲は、同好会13人が今、こうして一緒の時を過ごし、青春をともにしているこの何気ない「一瞬」を、楽曲として記録することで「過去」へと保存し、これを「永遠」のものにしよう、という想いの込められた曲なんじゃないかと考えました。

そしてこれが、私の考える「永遠の一瞬」観でもあります。

 

 

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このブログの冒頭で、最終章を読んでいるとき「永遠の一瞬」だなあって思いながら読んでたことを書きました。それはやはり最終章にてお台場で開催されたお祭りが「歴史」に残るようなものにしようという気持ちで作られていたからです。

たしか、この最終章では「歴史」という言葉が何度も使われていた気がします。「歴史」とはまさに「過去の記録」です。お台場レインボーカーニバルを通じて、このお祭りを主催した虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の13人がいたこと、それに協力するお台場の人たちやμ'sやAqoursがいたこと、そしてそのお祭りを楽しむ人たちいたこと。それらを残そうというのですから、それはもう「永遠の一瞬」です。最終章の1つ前の章の最後の曲と『KAGAYAKI Don't forget!』の直前の曲が『永遠の一瞬』になっていたのはそういうことなのかなあと勝手に思いました。(最終章のライブステージに『永遠の一瞬』が入ることは予想してましたが、ここに入ったのはさすがに横転しました)

 

そして最後の曲、『KAGAYAKI Don't forget!』。

トキメキ忘れないずっと 忘れたくない

Oh yeah 忘れない

Hi, oh yeah トキメキの歌(ソング)

Oh yaah 忘れない

Hi, oh yeah 僕たちの日々(デイズ)

タイトルに「Don't forget」とあるように、「忘れない」ということを強調したような歌詞になっています。ですが、ここまで書いてきた私には分かるんです。残酷なことに「忘れない」というのは難しいことだと。この世界に時間の概念がある限り、人は忘れ続けます。たとえ記録したとしても、「永遠」は時間の概念と相対しているため、この世界に完全な「永遠」などなく、どんなことだって、いつの日か誰もが忘れてしまうでしょう。

 

 

けど、だからこそ、忘れたくないんです。運命に抗いたいんです。きっと、この曲を通じて「歴史」を残したいんです。これは、忘れないでいることが可能かどうかという話ではなく、「忘れるもんか」という意志です。「あなた」としてのスクールアイドルとのかけがえのない思い出、そして美里さんやマイさん、ツムギチャンなど、スクールアイドルを応援する人たちがいたこと、そんな中、ともに紡いできた物語の中でもらった“トキメキ”や“輝き”、これらを、集大成となる『KAGAYAKI Don't forget!』という曲によって記録しようとしたことは、「絶対に忘れたくないんだ」という温かくも力強い意志を感じました。

 

なんか素敵ですよね、、、(語彙力)

 

 

 

さて、今月末スクスタはついにサービス終了を迎えます。ここでは詳しく書きませんが、私自身、とても寂しく思っています。スクスタにはたくさんのトキメキをもらったし、思い出もたくさんあります。忘れたく、、、ないですよね。

だから私はこうしてブログを書いているのかもしれません。私なりの「永遠の一瞬」的な考えでいえば、このようにスクスタに関するブログを書いたり、スクスタの思い出をツイートすることは、スクスタというアプリがあったことの記録となり、それは「過去」へと保存され、「永遠」に近いものとなります。どうやら素敵なハッシュタグもあるようですし、今のうちに積極的に残しておきたいなというところです(ただ当のブログ主は蓮の沼に突き落とされて、スクスタさんのことを考える余裕がないようです)。

 

 

きっとこれはスクスタに限った話ではありません。少し真面目な話をすると、例えば被爆者の記憶とか、公害病に苦しんだ人たちの声とか、最近だとパンデミックのこととか。風化させてはいけないものがあると思います。

情報化の進んだ現代社会では、そういった情報も得やすくなった一方で、情報の流れるスピードは速く、人々は日々興味のある新しい情報を得ては、同時に同じくらいの記憶を忘れています。そんな情報を消費するような時代に、前述したような大切なことを風化させないでおくにはやはり、記録をし続け、「過去」へと保存し、「未来」へと繋げていく必要があります。

 

そしてそれができるのは、他でもない「イマ」を生きる私たちなんでしょうね。

 

 

 

 

ここまで、なんだか小難しいことを書いてきました。たまにはこういうのも楽しいですよね☆

ですが、「永遠の一瞬」なんて本当はもっと簡単な事なのかもしれません。ここまで書いてきた内容のアンチテーゼにはなりますが、「永遠の一瞬」ってそんな理屈っぽい話じゃなくて、感覚的なものなんじゃないかということです。

私が「永遠の一瞬」について調べる中で、ある言葉を見つけました。

永遠は一瞬の中にある

これはショーペンハウアーという哲学者の残した言葉です。私は哲学にはあまり詳しくないので、ショーペンハウアーという人がどういう人物で、どういう思想を持っているのかは分かりません。そしてこの言葉が、どういう経緯で生まれたのかも知りません。

ですがこの人は感覚的に、「一瞬」をまるで「永遠」のように感じた瞬間、というのがあったのではないでしょうか。調べてみた感じ、他にもそう感じた経験がある人が何人もいるようです。

 

 

もうちょっと感じていたい この永遠の一瞬を

『永遠の一瞬』の歌詞にこうあるように、やはり「考えるな、感じろ。」ってやつなのかもしれません。

実は『永遠の一瞬』が作られた経緯では触れませんでしたが、あなたチャンがサビのメロディーを思いついた瞬間は、同好会メンバーがそれぞれのやりたいことを話している、本当に何気ない瞬間でした。その「一瞬」にあなたチャンは「永遠」を感じて、このタイトルをつけたのかもしれません。

 

 

ちょっと私にはまだその感覚が分からないです。それは大切なライブでの一瞬かもしれないし、友達と遊んでる何気ない瞬間かもしれないし、プロポーズに成功したときかもしれないし、、、まだ想像することしかできないです。ですが、そんな瞬間がいつかきたらいいなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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かわいい。